👨‍🎨6月はモネ!👩‍🎨教えてモネ!真似してキミも印象派画家になれる!🪄🎨🖼️

16.06.2023
こんにちは、物語の主人公になれる絵本、BÜKI(ブーキー)です。 絵描きのみなさん、元気かな?今日はとっておきのお話を伝えるね!

こんにちは、物語の主人公になれる絵本、BÜKIです。
BÜKIの『読む絵画教室』へようこそ。
『読む絵画室』では、有名な画家について面白楽しくお伝えするよ!

今回は偉大な印象派画家のモネについて両手をペンキだらけにしてお伝えします!…はじまりはじまり。

今月の名画家!クロード・モネってどんな人?

この夏のサンタクロースみたいな人、だーれ?

クロード・モネは1840年11月14日にパリで生まれた画家です🧑‍🎨🧑‍🎨

モネは「印象派」の画家で、「明るくあざやかな色で見た風景の光、風、湿気など、五感に伝わる雰囲気を鮮明に描く」👀そんな画家でした。

モネは裕福な家庭に生まれた子どもで。子どもの頃はあまり勉強が得意ではなく、しょっちゅう学校を休んでいたそうです🤭しかし、小さなころから絵を描く才能に優れており、14歳には有名人の似顔絵を描いて売ってお金を儲けていたそうです!

いままでの伝統的な絵画の多くは家の中で描かれたものでした。しかしモネの時代では外で絵を描く「外光派」という主流が現れ始めました。これは、絵の道具が進化し、絵具を外へ持ち運べるようになったことで外で絵を描くことが可能になった画家たちが、アトリエの外で絵を描くようになってから始まった絵画の手法です。

モネはそうやって外で絵を描くうちに「外で見る影は青い…」「世の中はもっと明るくて、鮮やかだ!」といった風に感じ始めます。その当時素晴らしい絵画はどれも「重々しい色合い」「表面がつるつるして見えるほど絵具をなじませる」「宗教や歴史にまつわる題材の物」こそ素晴らしい、と考えられていました。 そんな中モネは、日常の美しさ。自然の鮮やかさに気付き、身近なものを自由に鮮やかに描くことを求めました。残念ながらこういったモネの理念は当時の絵画社会にはあまり受け入れられませんでした😿

「印象派」という名前の生みの親!モネとその仲間たちのスタートとなる名画について

モネはどうして印象派って呼ばれてるの?その秘密を解明しよう!

アトリエを出て、太陽の光の元で絵を描き始めた画家たちは、外の世界の明るさに心を奪われました!そんな自然の光に心を奪われた画家の中に、モネもいました🎵
モネはなんとかこの明るくて、鮮やかな世界を形に残したい!と思い絵具を混ぜずに原色をすばやくキャンバスに並置させる「筆触分割」の手法を編み出しました。

昔の絵の具は色を混ぜるごとに、どんどん色が暗くなっていくという問題がありました💦そのため、塗り重ねられ、丁寧に輪郭をぼかされた伝統的な絵画はどこか暗くて重たい印象を与えます。

モネは「実際に外で見る世界はこんなに暗くはない」と言うことに気が付き、絵具を明るいまま保つ方法を考えた末、「絵具をあまり混ぜないようにする」という手法を編み出しました。

色を混ぜないってどういうこと?って思ったそこのあなた!鋭いです!🌟

絵画は主に2つの場所で色を混ぜて描きます🎵パレット上キャンバス上で!
ダヴィンチなど、多くの西洋画家はパレット上で色を混ぜて使いたい色を作り、キャンバス上で色を滑らかに境目が分からなくなるように混ぜて、なじませています。当時の絵具は油絵具ですから、完全に乾くまで時間がかかりました。なので、まだ乾いていない状態で何度も大きめの筆で色と色の境目をなじませていたんですね。ダヴィンチはこの「境目がないこと」にとてもこだわっていて、何十年もかけて丁寧に丁寧に色をなじませていたんですって。ダヴィンチの描いた「モナリザ」なんかはあんまりにもこだわって完成まで3~4年かかっています。一度完成してもダヴィンチは満足できず、20年もの間何度も修正している、とも言われています。それぐらい完璧にしたかったんですね👀

対してモネの描き方は、絵の具をパレット上でもキャンバス上でもできるだけ混ぜず異なる色を小さなタッチで並べて描いていました。あえてなじませないことで、原色の絵具がもつ色とりどりの色彩をそのまま残すことが出来ました。

色を混ぜて使うのとは異なるため、モネの絵は筆の跡が色濃く残り、こういった筆の跡は当時の価値観では「下描きっぽい」「未完成のよう」と酷評でした😿

1872年「印象・日の出

モネは自分の作品を多くの人に見てほしい、と思い多くの展覧会に自分の作品を出展を試みました。しかし、どの展覧会もモネの新しい表現方法を酷評し、出展を拒否されてしまいます。

そこでモネは同じような表現方法を確立した仲間たちと共に自分たちで展覧会を開きました。そこにやってきた批評家は、モネやモネの仲間たちの絵を酷評しました。皮肉をこめてモネたちを「印象主義者」と呼びました。(場所の印象ばっかりで、ちゃんとそれ自体を描けてない!という意見だったみたい😿)

しかし、この時批評家が付けた「印象」という言葉は、モネたちが確立した新しいスタイルの名称になり、モネが描きたい絵のスタイルをあらわにしていきます。

1882年「プールヴィルの断崖の上の散歩」
1907年「睡蓮の池」

その後もモネは自分のスタイルを確立させていき、自分らしい表現を続けていきます。モネは伝統的な「宗教画・歴史画」ではなく、身の回りの自分が愛するもの、妻や子供、愛する場所、庭や自然、を描き続けていきました!

モネは芸術をより身近なものにしたのかもしれないね🎵

【一緒に名画を描こう!】モネの代表作「積みわら、日没」

1890年7月「カラスのいる麦畑」

モネの時代の人たちは油絵具で絵を描いているけれど…油絵具で絵を描くのはちょっと大変ですよね💦
ですので今回の名画を一緒に描こう!はデジタル、あるいは水彩絵の具で絵を描いていることを想定しています🎵
ベースの色をパレット上で作り、全体的に塗り、際立たせたい色を、細かく塗るようなイメージで描いてみてね!

モネは自分の好きな風景を何度も何度も描く画家でした。「積み藁」は30作品も描かれています。この「積み藁」のシリーズは大変人気で、ある作家には「みーんなモネの積み藁をほしがるんだ!」と愚痴を言われたほどです。

モネが同じ風景や場所を何度も描く理由には、モネが光や雰囲気を大変よく観察しており、それらを絵に残すことを大切にしていた為と考えられます。

時間帯を変えて描かれる積み藁は作品ごとに印象が変わり、本当に風景の移ろいをよく表していますよね🎵

ぜひこの名画を描いてみましょう!!

【一緒に名画を描こう!】モネの一番有名な作品「睡蓮の池」

 1915年-1926年「睡蓮」

モネと言えば「睡蓮」という人がいるほど、睡蓮のシリーズはモネの代表的な作品です🌟🌃🌠✨💫🪐⭐

モネは30年間の間に睡蓮の池の絵を250枚以上描いています😲

晩年に差し掛かるとモネは白内障という目の病気を患ってしまい、ほとんど目が見えなくなってしまいました。そんな中でもモネは睡蓮の池の絵を描き続けていました。ほとんど見えない視界のなか、体に当たる太陽や風の間隔をつかみ、ほとんど記憶を頼りに描かれた睡蓮の作品にはモネの自然に対する大きな愛情が垣間見えます。

ぜひこの名画も、愛情をこめて書いてみましょう!

モネの愛したこの睡蓮もぜひ描いてみよう!!睡蓮どこー?と思ってもご心配なく!大事なのは「睡蓮」を描くことじゃなくて、この庭に対する愛しい気持ちや、夕暮れの切ない気持ちを表すことだよ🎵👀

今日からキミも光と風のアーティスト!印象派画家だ!

さぁ!真夏の太陽の光を楽しもう!

いかがでしたか?上手にモネの名作を真似することができましたか?
大丈夫、最初からすべてうまくいくことなんてありませんよ。

モネも自分のスタイルを確立するまではいろんな失敗があったはずです!実際、彼の印象派としての最初の作品と、最後の作品を比べてみるととっても絵柄が進化したことがわかります🎵

千里の道も一歩から!というように、たくさん練習をしていけば少しずつモネのような画家になれるかも!👩‍🎨👨‍🎨🧑‍🎨

上手くいかないなぁーという時は、ぜひモネのように外を出てまったり自然を眺めてみてくださいね!

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